【ザ・ノンフィクション】船戸雄大の洗脳法がウシジマくん北九州事件を彷彿させた

画像引用元:番組公式ページ

こんにちは。マグロのとろみんです。

2019年10月27日放送 【ザ・ノンフィクション】親になろうとしてごめんなさい ~目黒・結愛ちゃん虐待死事件~に対しての感想第2弾として。

DVは意外と身近な現実。という事を、事件の加害者であり被害者でもある結愛ちゃんの母。船戸優里にフォーカスして書こうと思います。

感想第1弾はこちら
胸糞回だが目を背けるな【ザ・ノンフィクション】結愛ちゃん虐待事件

 

 

 

【闇金ウシジマくん】に登場する「洗脳くん」を思い起こさせた

 

番組で取り上げられた「目黒女児虐待事件」

2018年に起こった事件の為、記憶に新しい方も多いかと思います。

5歳の結愛ちゃんが虐待の末、衰弱し、亡くなってしまった事件です。

幼い子に厳しい食事制限やルールを課せた事。たった5歳の子に反省文を書かせたりした事が衝撃的で事件当時、私も大きなショックを受けた事を覚えています。

 

そんな目も背けたくなる様な凄惨な事件が放送テーマだったにも関わらず、

淡々と伝える語り口。【ザ・ノンフィクション】の特徴でもある

その静かな語り口に吸い込まれるように、気が付いたら番組を全部観てしまいました。

 

 

【ザ・ノンフィクション】は観るたびに色んなことを考えさせられますが

あえて淡々とした語り口で、視聴者に考える隙間をくれているのかもしれません。

 

私は番組がきっかけで詳細をさらに知りたくなり

この事件に対する裁判記録などを読むことにしました。

 

裁判で語られた内容は

生々しさが伝わってくると同時に、あなたのすぐ隣でもそれは起きているかもしれない。

 

というどこでも起きる可能性のある怖さが垣間見られて

空恐ろしさと、終わりの見えない絶望感を感じました。

 

そして思い出した1つの事件。

『北九州監禁殺人事件』

その事件は、一家丸ごとマインドコントロールされてしまい、

挙句の果てに家族同士で殺めさせ合ったという

まれにみる凶悪犯罪です。

 

私はこの事件の事は【闇金ウシジマくん】という漫画を通して知りました。

 

【闇金ウシジマくん】コミックス26~28巻で登場する「洗脳くん」

という話があります。

 

その「洗脳くん」は

2002年に福岡県で起こった『北九州監禁殺人事件』をモデルにした話だそうです。

 

【闇金ウシジマくん】の「洗脳くん」では

ごく普通に生きていた女性が、

出会った男性から受ける精神的、肉体的なDV被害を通して

 

あっという間にマインドコントロールされ、

時には男性に指示されるまま殺人に関する手伝いをしたりします。

 

ついには家族全員を巻き込み、

事件に発展していく洗脳の過程を描いている話です。

 

「目黒女児虐待事件」の裁判詳報を読みながらも

【闇金ウシジマくん】でどんどん壊れていくその家族の様子を思い出し

 

「そうか。DVって精神的に支配するのと同じだから洗脳の一種なのか。」

 

「だからDV受けると逃げる事とか、抵抗出来ないのか。」

と、思ったのと同時に

 

今まで聞いたり読んだDVに関する事件の被害拡大の仕方などを思い出したら

 

DVとは。最初は当事者同士だけの話かもしれない。

けど事が大きくなり、いずれ人を巻き込んでしまう可能性のある性質の物なんだ。

自分だけが我慢すれば解決するものではない。

という認識持たなきゃいけないんだ。

 

そして被害の拡大の恐れがある上に、

自分は「被害を受けている」という

その意識すらなければ解決が難しい問題なのかもしれない。

と思いました。

 

闇金ウシジマくん (26) (ビッグコミックス)

 

心理的DVによる被害の判断とその立証は、裁判でも一番争われる部分

 

さて。

その「被害者本人が、被害を受けている」という自覚がない限り

解決どころか、発覚すらしないかもしれないDV被害。

 

それが特に、モラハラやマインドコントロールの様な

見た目で判断しづらい「心理的DV」と呼ばれるものだったとしたら。

 

そういう見た目で分からない類の物は、裁判等で実証するせよ、判決下すにせよ

どちらも難しいんですよね。

 

そういった意味でも「身体的DV」とは違い

「心理的DV」に関しては非常に解決が難しいし

見えずらい分、世の中からなくなる事自体可能なんだろうか。とすら感じてしまいます。

 

 

今回の「目黒女児虐待事件」では

公判で、結愛ちゃんの母親であった優里が

夫である雄大に「報復される」という発言や、

実際に毎日数時間の説教中、優里は罰として自分の体を自ら痛めつけた。という供述をしている事から

 

優里が受けた「心理的DV」と、その被害がもたらす影響についても考察されたそうです。

ですがそれこそが、弁護側と検察側で最も見解の違いが見えた点だったそうです。

 

弁護側は医師を介して

「雄大被告から強い精神的支配下に置かれ、精神的・心理的視野狭窄のため全体像を見ることができなくなっていた」

 

と主張。

それに対して検察側の判断は以下通りでした。

 

「弁護人も責任能力を争っておらず、弁護人の主張も、基本的に被告人が自分で物事の良し悪しを判断している、自らの意思で行動できていたことを前提にしている」と説明。

 

「心理的な影響を受けていたことは否定しないが、『支配』とまでは言うべきものではない」

引用元:HUFFPOST

 

私は司法の事、詳しくないのですが

裁判で精神的支配・心理的DVについての事情をくみ取り、

酌量の余地があるか。を裁判の中で検討する。という事が行われていることに関しては

 

未来を感じるというか、世の中の物の見方の変化を感じてちょっとほっとしたのですが

 

同時に人間って感情に左右される生き物なのに

それが測れないって。

 

しかも感情に伴う行動が犯罪等の悪い方に振れた時こそ測れて欲しいものなのに。

そういう時に判断する為に測れないって。

 

それってなんだかやるせない。

とも感じてしまいました。



 

心理的DVってどこにでも転がっている身近な物。と我々も認識しなきゃいかん

 

そんなことを考えていて

ふと思った疑問。

 

果たして。

どの位の人たちが実際に心理的DVを受けた時に気が付けて

そこから抜け出すことが出来るんだろうか。という事。

 

 

今回の「目黒女児虐待事件」でもそうですが、

心理的DVのパターンの1つとして

加害者側は「相手の為と思ってアドバイスする。」

という行為が段々エスカレートして大変な事態になっていく。

というパターンがあります。

 

 

そのパターンの場合、ポイントとしては

加害者側は「教えてやっている。」とか「正してやっている。」と思って行動している。という事なんですね。

あくまで相手の為を思ってやっている。という姿勢なわけです。

 

そういう場合

いくら被害者が「やめて」と言っても

平行線をたどるどころか加害者側としては

「なんでこちらの言っていることが分からないんだ」となりかねない。と思います。

 

そして加害者側としては相手の事を正してやっている。と思っての行動だったとしたら。

 

それがねじ曲がったおかしな考えであればある程、

被害者が「これおかしい」と思続ける事は難しいし、

そこから抜け出すのは相当な体力と覚悟が必要なんじゃないかなと思ってしまいます。

 

人間て不思議なもので、

相手に応えよう。とか認められたい。という思いが根底にある生き物なので

たとえ最初は「おかしい」と思っていたとしても

毎日何時間も繰り返し同じことを説教のごとく怒鳴られ続けたら、

 

「今日も出来なかった。」

「相手の言う様に私はダメな人間なのかも」

という方向で考えてしまう傾向にあるからです。

 

 

さらに言うと誰かに相談したとしても相談相手によっては

「あなたも悪いところあったんじゃない?」

「それ、相手が起こるような事しなかった?」

 

なんていう反応されてしまったら

ますます「あ。やっぱり私が悪いんだ」

という考えに至ってしまい、

DVのループから抜け出せなくなってしまうんじゃないだろうか。と思います。

 

特に精神的に弱っている時に「あなたにも責任あるんじゃない?」

なんて言われたら「だよね」と思っちゃいますよね。

 

そう考えると、

心理的DVは、いつどこでもそのループにハマってしまう可能性を秘めているものだし、

一人一人が普段からその事を知った上で

自分は他人から強制される存在ではない。

むしろ愛される存在なんだ。

という事を知っていないといけない。という事だと思いました。

 

 

うーん。

しかしながら、それって、よっぽど子供の頃から

 

「納得しない事は納得するまで確認するんだよ」とか

 

「あなたの事は誰も傷つける権利はないし、それはおかしいことだよ」

 

という教育をされていない限り難しい事じゃないかな。

とも思ってしまいます。

 

特に「長い物には巻かれろ」的な習慣で生きてきた

我々日本人は特に難しいんじゃないかな。

なんて思ってしまいます。

 

 

それを考えていてふと思ったのが

「社畜」と言われる人々。

 

一時「社畜」という言葉が世間を騒がせた時期がありますが

「社畜」こそ、まさに心理的DVに陥っている状態だな。と思いました。

 

「社畜」とは別の言い方をすると「職場モラハラ」とか「パワハラ」。

 

「職場モラハラ」とか「パワハラ」こそ

古き良きニッポンの、長い物には巻かれろ精神が

裏目に出てしまった状態なんじゃないか。

とさえ私は思いました。

 

社畜の場合には

加害者側が「相手の為」と思ってやっているのではなく

相手を人間とみてないから起きた結果も多く、家庭内の心理的DVとは性質が違う事もあるので

解決方法は同じではないですが

 

被害側が

相手に応えようと思って必死にやっているうちに陥ってしまう。

という点では被害に巻き込まれる精神状態的には似ているんじゃないかなと個人的には思います。

 

 

自分の心に素直になり、それをまずは自分が受け止めることが一番の解決策

 

そんなことを考えていて

私も気を付けなきゃな。とハッとしました。

 

私は昔、パワハラ的な上司が言ったことに対して納得してないのにも関わらず

その上司は人の話を全く聞かないタイプだった為に

途中からこちらの意見を言うのが面倒くさくなり

適当に流す。という事をしていたことがあります。

 

 

そうするうちに

何かにつけて八つ当たりされる様になったり

 

半期に一度、評価をしてもらう様な時に

くどくどと意味のない説教みたいな事をされる。という事が起きていました。

 

その時も面倒くさいから

早く終わらせたくて「はい」「はい」と聞いていたら

段々内容がプライベートな事にも関わってくるようになり

あんたにそんな事言われたくないけど?

みたいな事も言われるようになっていったんですね。

 

 

そんな過去を思い出し、

そういう所から精神的支配が始まっていく可能性があるって事なのか。

なるほど。

自分の感情に嘘付いちゃいけないってそういう事か。

 

と自分の陥りそうになっていた状況を理解すると共に

心理的DVの芽ってどこにでも転がってるのね。という事に気が付きました。

 

 

そして。思い起こしてみて気が付いた事。

 

そういう人達って

自分よりも強い相手には必要以上にへりくだる事が多かったりするので

基本的には自信がないんじゃないかな。と感じます。

自信のない表れとして弱い立場の人を攻撃してしまうのだと(時に無意識に)

と思います。

 

 

だからこそ。

そういう人にこちらが流されてしまわぬ様に

自分。という人間は決して人に傷つけられて良いものではない。

 

精神的に負担を感じる事自体おかしい事だから

そういう時には一度立ち止まって自分の感情を見直してみるべき。

 

世の中我慢が必要。と言う人もいるけど

何のためにそれを我慢するべきなのか。

そして我慢した先に何があって、それは自分が望むべきものなのか。

 

それらを意識していないといけないんだな。

という事を改めて思いました。

 

 

何が言いたいかと言うと

世の中、目で見て測れる収入、学歴、立場的なものでマウンティングしてくる人いるけど

 

そういうのしてくる時点で

相手は貴方に対して何かしら劣等感感じているから

それが怖くて攻撃している状態。と思っていいんじゃないかな。という事です。

 

もちろん、攻撃されたら怖いし、心折れちゃいそうになりますが

相手は自分に対して劣等感感じている故の攻撃。

という事を知っているだけでも大分違うと思うから

まずは自分を大事にすることを恐れずにして欲しい。という事です。

 

普段から自分を大事にする事で

自分の心が傷つけられている状態に気が付ける様にしておく。

 

「あ。これって嫌だ。辛い」という心の言葉を聞けるあなたでいて欲しい。

精神的支配や心理的DVって、まず自分の心の声が聞けない事には気が付けないから。

 

 

今日は、

2019年10月27日放送 【ザ・ノンフィクション】

親になろうとしてごめんなさい ~目黒・結愛ちゃん虐待死事件~

を観て、

 

自分なりに考えてたDVの身近さ。

そして身近だからこそ、我々もそれを自覚してDVという問題に対して

普段から向き合い、考えていかないと世の中から絶対になくならない。

そういう恐ろしい習性がある。

 

という事について書きました。

 

 

ここまで読んでいただきありがとうございます。

次回につづきます。

 

感想第一弾はこちら

胸糞回だが目を背けるな【ザ・ノンフィクション】結愛ちゃん虐待事件

 

 

現在「お局経理」の、15歳家出・歌舞伎町「底辺生活」特集はこちら