【ザノンフィクション】3.11から10年故郷を追われ家族バラバラでも前向く姿に勇気貰った

写真出典元:ザ・ノンフィクション
こんにちは。マグロのとろみんです。

日本って昔から天災に見舞われる土地ですが。実際被害にあったら割り切る事なんて出来るんだろうか。

誰のせいにも出来ない自然災害。

東日本大震災からの10年で放送された今回のザ・ノンフィクションは被災者のメンタル部分にフォーカスした回でした。

 

2021年3月7日放送

【ザ・ノンフィクション】わすれない 僕らが歩んだ震災の10年 前編

感想です。

 

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東日本大震災を東北で経験した2人に密着

 

今回の放送は東日本大震災を

被害の大きかった東北で経験した2人を追った回でした。

 

1人は

石巻市にある大川小学校にて被災した只野哲也さん。

在校生・教師の7割もの命が奪われました。

当時只野さんは11歳でした。

 

 

もう一人は

南相馬市で被災した島絵理奈さん。当時小学6年生。

放射能の影響から震災翌日に家を後にしなくてはならなくなり

その後その土地に戻る事はありませんでした。

 

 

前編・後編の2週に分かれていて

2021年3月7日放送分は主に島絵理奈さんを追った回。

 

2021年3月14日放送分は主に只野哲也さんを追う。

という構成になっています。

 

2人の2011年3月11日からの10年を追いました。

 

 

震災があった3.11。何してましたか

 

あの日。10年前。

あなたは何してましたか?

 

まだ今みたいにスマホで動画を気軽に見れる時代でなかった2011年3月11日。

私は首都圏にある

ビルの22階で働いていました。

 

 

その時私がいた場所での揺れは震度5強だったかな。

震度5強だなんて20年ぶりの揺れで驚いたし

ビルの22階ってこんなにブンブン揺れるのか。と正直ビルが折れるんじゃないかと焦った。

 

揺れが強くなるにつれ

経理職の私の手元置いてあった大きめの手提げ金庫が目に入り、

あれ、絶対に落ちてくるだろうし、落ちたらケガする。

 

と思ってワザと落とすか、

下ろす必要があると考え、

 

強い揺れの中、自らも揺れながら

金庫と小銭の重さで10キロ近くあった金庫を床に下ろした記憶がある。

 

その後

私はたまたま車で通勤していた同僚の車に乗せてもらって

家に帰る事が出来た。

 

沢山のタクシーとすれ違ったけど

どのタクシーにも

たまたま乗り合わせた風のサラリーマン達が定員いっぱいに乗っていた。

 

道路も渋滞して全然進まないし

なんだか物々しい雰囲気だったのを覚えてます。

 

同僚の車中でテレビみて状況を把握しようとも

電波が不安定になっていて

映像が乱れていて、その時点では何が起きているのか分からなかった。

 

 

何時間かしてやっと家に着いて

テレビを付けて初めて

東北地方の被害を目の当たりにしたんだけど

 

人が、家が、街が流されている。

こんなことってあるの?

とショックを受け固まった。

 

そして、私の家の中も結構な勢いでしっちゃかめっちゃかになっていた。

倒れている物はなかったものの

 

多分。

中身が飛び出しやすい方向に揺れた様で

本棚と、食器棚の中身は全て床にぶちまけられていて

山になっていた。

 

 

震度5強でもこんな被害なんだから

震度7とかって一体何がどうなってしまうんだろう。

って考えただけでも恐ろしい。という事を思った。

 

 

そして。

翌日以降、報道される被害。

 

さらには。

日本のメディアでは自粛して流さなかったんだと思うけど

 

むごたらしく、目を背けたくなる様な現実を映した

海外メディアの報道写真を見たりして

自然災害とはなんとも恐ろしい物だ。という事を学んだ。

 

 

私の働いていた会社では

被害がひどかった地域の舶関係の取引もあったんだけど

 

震災を経て

資金的に立ち直る事が出来なく

畳む事になった小さい会社もあったし

 

漁船とかは風評被害で立ち行かなくなり

見通し立たなくなったところも少なくなく

 

一時は東北の未来に対して暗雲立ち込める。

みたいなイメージしか描けなかったこともあった。

 

 

でも。

10年振り返ってみると

その後の復興が進んでいる話を聞いたり

 

非難した人達のその後の様子で

前向きに生きる話を聞いたりして

人間の底知れぬ強さを感じたりしたな。と

 

そんな事を思い出しました。

 

これも人生の一部。と静かに受け止める絵里奈さんの懐の深さ

 

今回【ザ・ノンフィクション】の放送で

印象的だったのが

震災当時小6だった島絵理奈さんの言葉。

 

 

絵里奈さんは当時南相馬市に住んでいて、

原発の影響で

震災翌日、必要最低限の物を持って家族で避難する事に。

 

 

その後、故郷は立ち入り禁止区域に指定。

 

避難後、最初の1年半位の間に

7回も住まいを転々としながら

ようやく埼玉に住まいを落ち着かせることが出来ました。

 

が。

お仕事の関係で引っ越しをすることが出来なかったお父さんは

福島在住のまま。

 

 

天災。

という誰のせいにも出来ない出来事がきっかけで

家族がバラバラになってしまう。

 

そして大好きだった山が見えて、青い空が広がる

南相馬市を去らなければならなかった。

 

という事実に絵里奈さんは

何年もの間、葛藤して、地元に帰りたいな。

という想いを馳せたりしてました。

 

 

特に中学生になったばかりの思春期真っ盛りだったのもあり

その想いは強かったんじゃないかな。

って思います。

 

 

そんな絵里奈さんも

現在は22歳。

就職をする年齢にまで成長したんですね。

 

 

で。その絵里奈さんが

この10年を振り返った時に言った言葉は

 

「震災も自分の人生の1つだから。

時間は失ったけど、それ以外の物って実は失ってない。

周りに友達は居てくれるし、

経験だって出来てるし。

地元だってなくなってない。そこにある。」

 

という事。

 

 

率直に強いな。って思いました。

震災を一つの経験として受け入れて、自分なりに消化しているんだなと。

 

しかもそれを

淡々と静かに語っている姿を見て、

絵里奈さんが経験してきた事。

乗り越えた物の大きさを垣間見た気がします。

 

 

そんな事を考えていて思ったのが

きっと、絵里奈さんの親御さんが前向きに生きよう。

という姿勢だったから

絵里奈さんは前向きになれたのかな。

 

という事。

 

 

親御さんが未来に向かって生きようとしている姿を見て

そこから絵里奈さんが学んだんじゃないかな。

って思ったんです。

 

ちょっと考えただけでも

避難直後は特に親御さん大変だったんだろうな。って思うんですよね。

 

どの方向に向かったらいいか分からない未来。

何が本当か不明なほど錯綜した情報。

そんな中、子供の事は守らないといけない。

 

 

荷物が少ないとはいえ

転々とすれば労力も気力も使うし

 

移転先で子供達が学業専念出来る様に

制服とか、学校のグッズだって揃える必要がある。

 

 

そうやって先が見えなくなりながらも

進んで、家族を守ろう。としてくれた親御さんに

育ててもらったからこそ

 

辛かった出来事だって、

「人生の一部」と受取り、

絵里奈さん自身も前進することが出来たんじゃないかな。

という事を思いました。

 

ほんと。

親の存在って計り知れない。

影響大きいですよね。

 

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忘れちゃいけない。そして学ぶべきだ

 

なんか。

3.11以降、私なりに体験者の記事を読んだり

 

数十年前に書かれた

東北の津波の本を読んだり、

 

3.11当時の様子を振り返ったドキュメント動画を拝見したりと

個人的に学んだりしてましたが

 

今回【ザ・ノンフィクション】で

島絵里奈さん。という1人のいわゆる普通の女の子が

その後どうしているのか。

 

何を考えてどうやって

当時の事に向き合っているのか。

という事を知れたのは良かったな。と思います。

 

 

絵里奈さんを通して思ったのは

 

私達が出来るのは

経験者から学ぶこと。

 

「大震災」って表現するとすごい恐怖を感じるし

それにより沢山の方々が犠牲になっているので

どうしても口にしてはいけないような雰囲気があったりしますが

 

絵里奈さんの様に

メディアに出てきてくれる人が居るならば。

そしてその方が

ある意味、私の隣にもいそうな普通の人であればある程

 

 

当時の気持ち、思った事

その後何をしたか。

の行動はもちろん、メンタル面を学ぶことで

 

 

震災だけでなく、

人生のピンチに陥った時に

役立てる事が出来るようになるんじゃないかな。

という事です。

 

 

そういう事からも

飾らない自分の言葉でしゃべってくれ

現在の様子を見せてくれた

絵里奈さんに感謝です。

 

 

今日は以上です。

ここまで読んでいただきありがとうございました。

 

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