歌舞伎町ホステスを支えるプロ達②/暗闇で演奏続けたピアニスト編

こんにちは。マグロのとろみんです。

前回の記事では日本一の歓楽街、歌舞伎町のホステスを

陰で支えてくれている主役級の裏方さんとして

決して足を向けて寝れない位お世話になっている美容師さんのお話をしました。

 

今日はその第2弾として

高級クラブの雰囲気づくりには欠かせないピアノマンのお話をしようと思います。

このピアノマンさんも、前回の美容師さん同様、かなりプロ意識高い方でした。

前回の記事「歌舞伎町ホステスを支えるプロその1 美容師編」はこちら

 

 

スポンサーリンク

 

 

目 次

 

停電中、何事もなかったかの様にジャーンと演奏始めるピアニストさん

 

今日お話するのも前回同様、私がほんの少しの期間、高級クラブで働かせてもらっていた

16歳の頃の話です。

今考えてみると、あの頃は本当に意識の高い方達に囲まれていたんだな。

と思います。

 

そんなプロのお仕事ぶりから学ぶ良い環境だったとも露知らず、

毎日ボーっと生きていた自分。

恥ずかしい。。。。というか、勿体無かったですね。

 

さて。

私が在籍していたクラブでは、1日に2,3回

グランドピアノの演奏をしてくれるピアニストさんと契約していました。

ピアニストさんは雨が降ろうが、うだるような暑い日も、雪の日も

毎日時間ピッタリに登場。

 

お客様とホステスの会話をさえぎらない配慮をしつつも、

場を和ませ、さらには奏者の存在感も見え隠れする様な素晴らしい演奏を行ってくれていました。

 

見た目もシュッとして清潔感のある身のこなし。

まさにピアニスト。と言った感じの方でした。

 

そんなある日。

ビル全体が突然停電になってしまったんですね。

お店は軽くパニック。

 

お店の装飾上、窓ないからブラックアウト。真っ暗です。

それが起きたのは暖かい時期でした。

店内の冷房も”バチン”と切れ、徐々に上がってくる気温。

 

お着物を着ている大ママやチーママ達は

「大変。汗かいちゃうわ」

と、喫茶店に一旦避難しに行きました。

(結構しっかり目のお着物だったので、冷房ないと厳しいと思います。)

 

ビル全体の停電だったので、エレベーターも停止してしまいました。

 

そんな混乱が続く最中。

ピアニストさんはどこからもなくスっと現れ、

いつもの様にピアノに座りました。

 

今まさに、弾き始めようと大きく息を吸い込み

ジャーン!と指が鍵盤を叩こうか。というところで、

 

お店のフロア取締り役の方に

「いやいや。。。さすがにこの混乱の中いいですよ。」

と諭されていました。

多分お店側が何も言わなかったら引き続けてたのは想像に容易いです。

 

聞くとピアニストさんは階段を登り、

クラブのあった7階までいらしたそうです。

 

冷房も掛からぬ場所で汗だくだろうに

そんなのは微塵も見せず、ビシっとジャケットを着て演奏を始めようとしたんですね。

真っ暗な中で。。。笑

 

しかしすごいプロ根性だ・・・・。

芯がブレなすぎてすごい。真似できない・・・。

 

スポンサーリンク

 

そんな停電中、他の階のキャバクラでは夕涼み会が開催されてた

 

と、私の働いてたクラブでは停電の中、

プロ意識が素晴らしすぎるピアニストさんが、暗闇で演奏を始めるという

後々まで語られる事になった(ある意味)珍事件が起きていたわけですが

 

他の階のキャバクラではクラブとは違った趣向の過ごし方をしていた様です。

 

実は私、このビルの他の階のキャバクラで勤務していた事がありました。

で、久しぶりにそこの子と道端で会った時に停電の話が話題にあがったんですね。

 

私「この間、停電あったでしょ。その日出勤してた?」

キャバ嬢「してたよ~~」

私「えー。大変だったんじゃない?大丈夫だった?」

キャバ嬢「いや。そうでもないよ。なんか夕涼みみたいで面白かったよー」

私「へ?夕涼み?」

 

そのキャバクラは3階にあったのですが水商売のお店では珍しく、

ホテルのロビーなどで見る様な

間口が大きくカーブしたモダンな窓があり、道路を見下ろせる様な内装になっていました。

 

なので外のネオンの光が入ってきて何気に明るかったと。

 

さらに

「うちわが配られてね~お客さんと一緒に扇いでたよ。」

とのこと。

 

 

なるほど。うちわだから夕涼みか。

と、納得すると同時に

「そのうちわ用意してくれたの、ボーイさん以外にいないよな。」

と思いました。

 

ボーイさんのようなホールで働く方々って実はフットワーク軽くないと成り立たないんですよね。

 

通ってくれてるお客さんの誕生日が近い。と分かればケーキ屋さんにケーキ買いに走るし、

お客さん少ない日は客引きに出たり、女の子スカウトしに街に出るボーイさんだっています。

一人で何役も実はこなしているんですね。

 

そして今回の様に停電おきて冷房が落ちちゃった日には

お客さんが不快な思いをしない様にうちわを買いに走る。

 

ところで買いに走る。と言うと、都会だしちょっと角のコンビにまで買いに出掛ける。

位な感覚に感じられるかもしれません。

しかし、私が働き始めた当時は

歌舞伎町内に大型ディスカウントストアなんてなかったのはもちろん、

コンビニすらありませんでした。

 

今じゃ信じられませんが、大都会なくせに「不便な街」だったんですね。

 

伝説の「スーパーストア エニー(ANY)」

 

そんな「不便な歌舞伎町」で

今のドン〇ホーテ的なお店が1件だけありました。

 

その名も「スーパーストア エニー」

英語で書くとANY。anywhere(どこでも)とかanything(何でも)  のエニーです。

 

名前の通りなんでも売ってる店だったから必要な際は重宝したし、

雑多感が楽しくて用もないのにみんなでウロウロしに行ってました。

 

まさにドンキ〇ーテの先駆け的お店でした。

何かある度にその「スーパーストア エニー」にボーイさんは走ってたんですね。

 

しかし。この「スーパーストア エニー」は2001年位に閉店しています。

悲しいかな。歌舞伎町中の皆が毎日お世話になったスーパーだったのに

その存在を知っている人自体が今日では少なくなっています。

 

なので、エニーの存在を知っているだけで

今日からあなたも立派な歌舞伎町通です!笑

 

歌舞伎町豆知識でした。

 

話がちょっとそれましたが

エニーは水商売全体を影で底支えしてくれる存在だったんですね~。

という事でビル停電というトラブルが起きた時も、例のごとくボーイさんがうちわを買いに走ってくれたと。

 

本当に歌舞伎町に限らず

水商売という一瞬華やかに見える世界では

裏で支えてくれる方々がいて初めて成り立ちます。

 

彼らは当たり前のように努力してくれてしまっているので

普段はその努力が当たり前に感じてしまいがちですが

イレギュラーな事が起きた時、改めてその存在の大きさに気が付かされます。

 

最後に一言

 

今日は、ホステス業を支えてくれている

感謝してもしきれない「歌舞伎町影の主役」から

ピアニストさんと、フロアのボーイさんに関するエピソードを書きました。

 

最後に個人的な雑談をして終わろうと思います。

 

今回の停電後、同じビルの他の店の子と

停電の話で盛り上がった。

という一連の下りを書いていて初めて気が付きましたが

 

私が働いた歌舞伎町のいわゆる「水商売」のお店、計3店舗。

全てこのビルのテナントだった。

という事を今更ながら自覚しました。

 

キャバクラだけでも数百件ある地域で

このビルのみの勤務経験。という驚きの偶然。

 

しかもあえてそのビル選んで応募したわけじゃなく、

すべてスカウトか紹介で入店しているんですよね。

それに気が付いたとき「私はなんちゅう狭い範囲で働いていたんだ・・・」

と我ながら笑ってしまいました。

 

キャバクラで働く事になったいきさつ
「15歳。本名を捨て歌舞伎町で働き始めた頃の話」

 

今日も読んでいただきありがとうございました。

 

 

15歳家出少女の歌舞伎町「底辺生活」特集はこちら

 

 

スポンサーリンク