寺と神社の違いは?神社へ行かない方がいい日がある?

とろみんです!

先日京都に行った際、「そういえば、神社へは行かない方がいい時があると聞いた事がある。。。。」

と思い出し

いい機会なので寺と神社の考え方の違いを調べてみました。

**とても詳しく書いてある本やサイトが世の中には沢山ありますが、今回は私なりの解釈をとてもシンプルにまとめてあります。その点ご理解下さい。

 

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目 次

 

神社と寺の違いとは?

 

まず基本的な事から。

神社=神道の考え

寺=仏教の教え

に基づいた概念から成り立っています。

 

実は個人的な疑問として以前からお寺に対して

「お寺の仏像は人が作ったものだよね?

それがありがたい。と拝まれだすのは作成してどれくらいからなのだろう?
それとも芸術性が高ければ作られてすぐにでも拝まれだすのだろうか?」

と、いう疑問が頭の中にあり、私の中では整理できてなかったんです。

 

今回仏教と神道の違いを学んだ事で自分自身の疑問がちょっと晴れました。

 

そして、個人的に私は寺よりも神社の方が好きなのですが
その理由も腑に落ちるものがありました。

 

神社と寺の違いを簡単にまとめると

神道
八百万(無数の)神様を祀るもの
自然の物全てにおいて神が宿っていると考える。
山神・海神・商売の神・その土地の神・安産の神・歳神などなど。

仏教

釈迦(ゴータマ・シッダッタ)という人物により
どういう考えを持てば穏やかに生きていけるのか。という事を説いたのが始まり。

 

一言でいうと神社は神様を祀る場所で、寺はその宗派ごとの教えを学ぶところ。
と言えばいいのでしょうか。
そもそもの訪れる目的も違いそうですね。

 

分かりやすい動画を見つけました。
特に西洋の宗教と神道との違いから、西洋人と、日本人の根本的な考え方の違いを説明してくれている1:18あたりから、興味深いです。

ちなみに1:53あたりの”神道には教えはなく感じ取るもの”
私には少し意味が分かりづらかったのですが
他の動画で同じ方がもう少し説明してくれてます。

リンク貼っておきますのでご興味あればあわせてどうぞ

こちら 神道の心を伝えるドキュメンタリー

 

では神社へ行かない方がいい日があるとは?

 

行かない方がいい日。という言い方をすると語弊があるかもしれませんが。

そもそも神社とは神様を祀っているところなので
とても神聖な場所なんですね。

そこに行くには相応しくない”気”を持っている人は行かない方がいい。

と言うと分かり易いかと思います。

 

一番分かりやすい例が「身内の死」が起きたばかりの方

一般的に身内の方が亡くなると悲しいですよね。

 

その悲しみや落ち込みにより精神的にも実際に肉体的にもその方のパワーが弱まる時。

そんな方は

気が弱まっているので神社へは行かない方がいい。とされています。

 

この様に、気が弱った状態を 穢れ と神道では呼んでいます。

 

神様に向き合う用で神社に行く際に
それに集中できない精神や肉体状態。これに該当する方は、しばしお休みしてくださいね。

っていう事。

 

「気枯れ」とも書きます。

 

 

別にその方自体や死その物自体が穢れているわけではないんですね。
病気になって気力が落ちていたり、友人や親族が亡くなって精神的に弱まっている状態の方を 穢れ(気枯れ) と呼んでいるだけです。

 

神様に落ち着いて向き合えない方はちょっとお休み。という感じと思えばいいのでは。

 

なので怪我して痛い。血が流れている様な怪我。
生理の時や、病気で苦しい。

 

なんて時にも結婚式や、何らかの式典に出席が決まっていた等

避けられない用事の時以外はなるべく回復してから出向くのが良いのでは。

と、私は理解しています。

 

ちなみに、、、生理が穢れ?とビックリされる方もいらっしゃるかと思います。

まぁ、生理中は多少なりとも疲れが生じたり、人によっては重さやだるさがある。

さらには辛い、痛い。などなど色んな症状がありますよね。

 

その様な場合、お祈り時に集中しづらい場合もあるだろうから

神様に向き合うのは時期をずらしては?と、言う考えです。

 

まぁ
神社とは神様を祀っている場所だから、

神域の整った空気を乱さない様な状態の時に行く。

という事を心がければいいのではないでしょうか。

 

私の中では
山や海自体を祀っている神社や、歴史がとても古い神社等、

なんとなくパワー強そうな神社は自分が弱っているなーと思うときは見送っています。

 

穢れ(気枯れ)の状態で神社に行く用がある場合、ご心配な方は
直接事前に神社に問合せしてみるといいのかもしれません。

 

四苦八苦は仏教用語 -釈迦の教え

 

さて、冒頭で

仏教=
釈迦(ゴータマ・シッダッタ)という人物により
どういう考えを持てば穏やかに生きていけるのか。という事を説いたのが始まり。

と記載しました。

 

 

 

釈迦さんも普通の人だったので
悟りを開く前は人生において起こる色んな出来事により落ち込んだり、悲しい思いをしていたそうなんです。

 

だけど結局のところそれは、自分が人生をコントロールしている。と思うから感じる事であり

「全ての物は変化していくものだ。」

として受け入れれば何も辛く感じる事はない。

と悟ったんです。

 

で、その悟りから
人生における「苦」を述べてこれらの「苦」が人々を苦しめているんだよ。と人々に教えた。

 

その苦は「四苦八苦」と呼ばれています。

なじみがある言葉ですよね。

 

以下の八個の「苦」から成り立っています。

四苦「生・老・病・死」 + 愛別離苦、怨憎会苦、求不得苦、五蘊盛苦

これら全て、物事思い通りに運ばず心身ストレスがかかる出来事を表しています。

 

難しい言葉が並んでいますが
ポイントとしては、その四苦八苦がない安息の人生を生きたい。
といった釈迦さんの自己探求がきっかけで説かれた教え。というところ。

 

現在は「仏教」と一言で言っても宗派も沢山あり様々な考えが存在しているのですが

お寺は、釈迦さんの悟りを基に広まった仏教というものを
学ぶ場所。

お坊さんはその教えを理解し、私達に伝えている方々。

 

 復習 

神社=神道に基づく(神様を祀る)   寺=仏教の教え(宗派を学ぶ)

神社には”ケガレ”=”気枯れ”という考えがある

四苦八苦は仏教用語からきている

 

地域によっては仏教と神道が混ざった様な神社が存在したりと

長い歴史を経て色んな形の物が存在する日本ですが

当たり前に存在しすぎて普段意識していない事を

一度自分の中で整理してみるのも中々面白いものですね。

 

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