【ザノンフィクション】テーマ曲サンサーラの歌詞が歌舞伎町時代に重なりくっそ重いわ

こんにちは。マグロのとろみんです。

毎週放送を楽しみにしているフジテレビ系【ザ・ノンフィクション】

 

放送中に流れるテーマ曲の「生きて~る 生きている」というフレーズを聞くたびに

胸をえぐられる様な何とも言えない気持ちにされます。

 

今日はそんな哀愁たっぷりの

【ザ・ノンフィクション】テーマ曲「サンサーラ」に対する想いを

歌舞伎町視点で語ろうと思います。

 

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竹原ピストルさんの歌う「サンサーラ」が脳内の古傷えぐりまくる

 

さて。ザ・ノンフィクションのテーマ曲「サンサーラ」は

様々なアーティストにより歴代歌い継がれているのをご存じですか?

 

2020年1月からは「竹原ピストル」さんという

アーティストさんが

8代目として「サンサーラ」を歌っています。

 

 

しかし歌う方が変わるとこんなにも

印象が変わるのか。

と思ってしまう。

 

竹原ピストルさんの歌い上げ方は

胸に訴えかけるというか。

 

むしろ潜在意識に訴えてくるほどの

力強さを私は感じます。

 

以前から心に響く曲ではありましたが

代替わりしてからその訴えかけて来る感じが

以前よりもどっしり重くなったし

 

今まで以上に放送見た後の空虚感というか。

何とも言えないやるせない気持ちになる事が増えたな。

と感じました。

 

今までのアーティストさん達は

柔らかい感じだったり切なさがあるアプローチする方が多かったので

 

テーマ曲を聴くと、

世の中の荒波に揉まれていた主人公たちが

つかの間の一息をついているようなイメージだったり

 

張り詰めていた緊張がフワっとほぐれて

ホッとため息をつくような

印象を受けることが多かったのですが

 

 

それに対して

竹原ピストルさんが歌うと

もっと人々の弱さとか、地を這いつくばる感じで

 

その生身の人間の、人間臭さというか、

 

主人公たちがこれから逆境に向かっていく。

そういう人にはあまり見られたくない部分を描いているような印象さえ受けます

 

竹原ピストルさんの歌声は

とても力強いのですが、

なぜか同時に相反する孤独感を感じたり

 

広い世の中に放り投げだされた様な心の空洞も感じたりするので

 

曲聞いてると

私が歌舞伎町にいた頃。

明日さえ見えなくて繁華街さまよっていた当時を思い出させる時があります。

 

掴もうとしても掴める物がなく、彷徨っていた当時の

何とも言えない宙に浮かんだ感じ。

そういう感覚を思い出させる時があります。

 

曲のメロディーだけでも

がっつりと心に訴えてくるものがある

ザ・ノンフィクションのテーマ曲「サンサーラ」

 

刹那感ハンパねー

 

参考:「サンサーラ」竹原ピストルさんバージョン

 

ちなみに

マツコデラックスさんの番組【月曜から夜更かし】で大ブレイクした、

株主優待生活「桐谷広人」さんのBGMは、こちらの中孝介さんバージョンです。

(フルバージョン聞けます)

 

テーマ曲サンサーラのテーマが壮大過ぎて涙誘う

 

実はこの曲。

さかのぼる事1992年。

 

ザ・ノンフィクションの前任チーフ・プロデュサーである

味谷和哉さんがインドロケ中にガンジス川のほとりで

サビとタイトルを思いついたそう。

 

ちなみに。

タイトルの「サンサーラ」という言葉は

サンスクリット語であり、仏教用語です。

 

その意味は「輪廻転生」

 

命の生まれ変わりが行われ、リレーが続いていく。

時代を超えて命が紡がれ続ける。

といった様な意味合いが含まれる事から

 

かなーーーり深いテーマが題材になっています。

 

今回初めてじっくり歌詞を読みましたが

深すぎて読んでるだけで軽く涙しました。

 

心に刺さった細かいポイントは後ほど記載しますが

 

まず、全体的な歌詞を

私なりのざっくり解釈で一言で表すと

 

「人間ていうのはなぜにそんなに小さなことでもがいたり苦しんだりするの」

 

「人間にとっては現世だけしか見えてないけど全ては未来に繋がる事だから」

 

ってことを

何億年と存在している地球の視点で見て

人間に語りかけている歌かなー。

と解釈します。

 

 

なんだかテーマが思った以上に壮大で

ビックリしましたが

この曲の代名詞ともいえる冒頭部分。

 

生きてる 生きている

その現(うつつ)だけが ここにある

生きることは サンサーラ

出典:『サンサーラ』作詞・作曲:山口卓馬、書上奈朋子

 

私はこの冒頭部分の歌詞に、この曲のすべてが集約されていると思っています。

*補足* 現(うつつ)=現存する。とか現実。という意味です。

 

この歌いだしのメッセージは

「何が起きてても、今。あなたたち生きてるんだよ。それ忘れないで」

 

「生きてるからこそ味わえる喜びや苦しみだから。それに気づいて」

 

って大地が人間に対して言っているように私には聞こえます。

 

で。

冒頭の歌詞がかかってくるのが

サビ以外のAメロ Bメロで語られている部分。

 

そしてその冒頭の歌詞がかかってくる

Aメロ Bメロ部分こそが特に私の心をえぐってくる部分だったりします。

 

人間の永遠のテーマよね。いつか別れるのに人は出会うのよ

 

ここから、私の心をえぐってくる

Aメロ Bメロ部分について

お話します。

 

サビ以外の部分では

我々人間のみみっちさとか、卑しさとかを歌っている。

と私は思っていますが

特にこの部分。

 

つかの間の世に なぜ人は嘆き

涙流すのか 繰り返すのか?

 

永遠を信じて歩みを止めずに

なぜ別れるため 人は出会う

 

出典:『サンサーラ』作詞・作曲:山口卓馬、書上奈朋子

 

これねー。

心の深い部分にググっとくるんですよね。

 

本当にそうなの。

 

どんな家族でも、どんなに大好きな相手でも

どんだけ世の中に功績残した偉人でも

いつかどっかで別れは来るわけ。

 

そんな事分りきっているのに

悲しんだりして時に泣きわめくわけよ。

 

いやこれまじで。

 

それはどんな人種でも関係なくてさ。

どんな職種の人も関係なく多くの人が悲しむわけ。

 

もちろん

歌舞伎町界隈で暮らしている人達とか、

完全アウトローな事を生業にしている人達だって

 

やっぱり別れが来ると悲しむし。

涙するわけよ。

 

そう考えると人間って往生際悪いというか、

「今」を精一杯生きてないのなかぁ。って思っちゃうよね。

 

人生たったの数十年。

その間に何度涙するんだろう。

それを一体何千年同じ事。

人間はやって来たんだろう。

 

とこの歌詞を読むと思っちゃうんだけど

 

 

でもそれって。

逆に言うと

何千年も続けてきたってことは

悲しむとかって人間にしかない感情だし

 

生きている時にしか出来ないから

あえて繰り返しているのかなぁ。

なんて考えちゃいます。

 

そういう事考えながら【ザ・ノンフィクション】に出演している

逆風に吹かれながらも地べた這いつくばって

なんとか踏ん張っている主人公たちや

 

目の前の事にいっぱいいっぱいになって

溺れそうになっている主人公達を観ると

 

「幸せ」ってなんだろか。

って思っちゃう時があります。

 

視点変えると、

その這いつくばっている主人公たちは

生きてるときにしか出来ない「感情を体験」しているから

 

もしかしたら幸せなのかなぁ。

とか逆説的に見ちゃうことがあります。

 

私たちが幸せ。って思っている

笑顔でいる。とか、豊かな暮らし。

みたいな定義は実は違うのか?とすら思っちゃうんですよね。

 

サンサーラやばし。

まじで考え出すと止まらないのよね。

 

歌舞伎町の細い路地を走り回っていた頃が重なるよ

ところで

「生きてーる 生きている~」

の部分は曲の中で3回出てくるのですが

 

特に私の心にぐっと来るのが

Bメロからサビに向かうこの部分。

 

彷徨う生と死のストーリー

命つないで

 

朝もやに煙る ほとりに佇みながら

耳をすまし 聴くのは

 

生きている生きている

その現(うつつ)だけが ここにある

出典:『サンサーラ』作詞・作曲:山口卓馬、書上奈朋子

 

「耳をすまし 聴くのは」からの

 

「生きて~る」

への入り方が半端なくドラマチックに盛り上がって

息も止まる位に心鷲摑みポイント。

 

胸がギュっとされる感じというか

私にとっては過去の私と今の私の渡し船的なパラレルワールド入口。

みたいな空間が生まれます。

 

そしてこの部分の歌詞。

 

番組の前チーフ・プロデュサーは

インドのガンジス川のほとりで朝もや見ながら

この曲のサビを思いついた。

 

という事もあり、それを彷彿させるような歌詞ですが

 

ザ・ノンフィクション的に解釈すると

この部分は

 

都会の片隅でかき消されている声。

 

実はみんな聞こえているはずなのに

他人の周りの人達には届かない。

 

でも。耳傾けてみると聞こえる声ってあるんだよ。

「助けて」

「私はここにいる」

 

って言っているように聞こえて

クッソ重く聞こえます。

 

っていうのも、かつて私が歌舞伎町で見た

街に飲み込まれかかってる女子達

が私の頭の中に浮かんでくるから。

 

何を頼って良いかわからずに自分を見失っている女子が

不良を稼業にしているよく分からん男に

食いものにされている様子とか。

 

 

かつて歌舞伎町の風林会館の1階にあった喫茶店で

毎日の様にホストと同伴する為に待ち合わせしていた

ピンク系のお仕事しているであろう女子とか。

 

 

どう見ても10代半ばの女子が大きめの紙袋持ってフラフラしてるけど

絶対にこの子帰るところないだろ。っていう危なっかしい感じの子とか。

 

 

それに対して

遠巻きにその子たち狙っている大人たち。

みたいな構図も見えてしまうし。

 

 

なんなら

私もあの頃はそんな繁華街を構成していた1ピースなのか・・・。

 

なんて思うと

ズルズルとその闇にまた引きずられる様な感覚にすらなる。

 

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とろみん的 サンサーラ好き勝手解釈まとめ

 

さて。今日は

【ザ・ノンフィクション】のテーマソングであるサンサーラを

私なりに解釈してみました。

 

結論。

 

私はザ・ノンフィクションが好き。

 

なんのこっちゃ。

って感じですが。

 

いやぁ。

この壮大なテーマソングと番組内容を照らし合わせて考えると

 

なかなか自分の事って客観視出来ないものだけど

主観的になったもの負け。

というか。

 

主観的になるとどんどん視野が狭くなり

自分がどこまで溺れているのかとか、どこまで落ちぶれたのかとか。

どんだけピエロになっているか。

 

そういう事が見えなくなっちゃうんだな。

っていう現状を突き付けられた気持ちがして

私ってなんて感情的な生き物だったんだろう。って思いました。

 

考えてみたら。

どんな世界だって現状を変えようと頑張っている人は

みんな必死は必死に違いないんだけども。

 

ちゃんと成果出す人ってきちんと周りが見えている人なんだよね。

 

なーんか自分のことだけでいっぱいいっぱいになり

家を飛び出して、

それこそ居場所がないのなんのと言い

歌舞伎町で生きていた私って一体なんだったんだろ。

 

めっちゃ主観的でアホやん。

って思ってしまった。

 

んでもそういうの。

ふかーく考えさせれてくれてそこまで考えるきっかけになった

ザ・ノンフィクションが好きだし

 

これからも好きです。

 

だからなんのこっちゃ。なんだけど

今日は以上です。

ここまで読んでいただきありがとうございました。

 

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