感謝の気持ちを伝える言葉。私のおじいちゃんのおばあちゃんへの想い

こんにちは。とろみんです。

今日は母の人を通して思い出した
近しい人への感謝の気持ち。

について思った事を書いて行こうと思います。

 

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目 次

感謝の気持ちを言葉にする

 

何故だかわからないけど

近しければ近しいほど、感謝の気持ちを表すのに照れてしまう事あると思います。

恥ずかしながら

私も母親や家族へ、感謝の気持ちを

言葉にして表現するのは上手とはいえない方かな。と思います。

 

プレゼントをあげたり

ちょっとした時にお土産買ってきたり。

という形で感謝の気持ちを表すようにはしていますが

本当は言葉。

一言でいいからしっかりと口で表現する方が数百倍も伝わるんですよね。

 

それを思ったのが先日迎えた母方の祖父の命日。

 

当日叔母から私の母へ電話があり

何時何分がその時間だから黙祷しておいてね。

と伝言を貰いました。

 

祖父が亡くなってからもう何年も経ちますが

毎年思い出して黙祷をしている叔母達はなんてステキなんだ。と思ったのと同時に

 

「あ。私の母親だっていつまでも居てくれるわけじゃないのだ」

 

と思ったんです。

 

人間誰しもが限りある命を持って生まれてきてますから

悲しいけどいつかは

お別れをしなくてはいけない日が来るんですよね。

 

そう考えたら

もっともっと今から感謝の気持ちを表すべきだな。

出来る限り行動で示さなくてはな。

と思ったんです。

 

母親がいなかったらこの世に生まれてませんから・・・

 

祖父の祖母を思う愛情

 

感謝の気持ちって相手を思う愛情から生まれてきてると思うんですが

私の祖父は

本当に祖母の事を愛し、たっぷりの愛情表現をしていたそうです。

 

大正生まれの男性です。

当時は愛情表現をストレートにする人って珍しかったんじゃないかな。

なんて思ってしまいます。

 

私の祖母は病気を患っており

私が6歳の時、64歳で他界しています。

私の記憶の中の祖母は既に寝たきりの状態で、あまり喋る事が出来なかったので

どういう人だったか直接は知らないのですが

 

母親から聞いた話だと

相当面白く、パワフルな人だったそうです。

 

農業と海苔養殖をしていた祖父を支えながら

3人娘を育て、

「くだらない事をしゃべるのが話しってもんなんだ!」と豪快に笑いながら

家族とのコミュニケーション、そして近所付き合いも

ガンガンこなしていたようです。

 

ただ、母が学生の頃既に病気の症状がすすんで

入退院を繰り返していたようですね。

 

そういう状態になる前には

仕事ガンガンして、仕事したら今度は遊ぶんだよ。と、

祖父と一緒にいろんな所に旅行に行っていたそうです。

 

なんか。

それを聞いた時に、

私の旅行好きって

旅行に行き足りなかった祖母が私の後ろに付いて

「今度はここー!今度ここ行こう!」

とプッシュしてるからなのかなぁ。と思わず想像してしまいました笑

 

 

祖母の好物を畑で育て始めた祖父

 

話を祖父に戻しますが

そんな入退院を繰り返していた祖母。

 

白桃が好物だったそうで、

入院中「桃が食べたい。美味しいやつ」

とリクエスト。

 

すると祖父はなんと。

自分の畑で白桃を育て始めます。

 

桃栗三年、柿八年。

と言われる位、おいそれとは出来ない果物です。

祖父の行動には脱帽してしまうのですが

ゼロか10か。

その位に白か黒がはっきりしていた祖父なのでなんだか納得してしまう話です。

 

自由に外に出れなくなってしまった祖母の為に

一生懸命育て始めたんですね。

 

祖父は農業を生業としてやっていたので

その桃のスペースを作るって事は、

その分、今まであった野菜のスペースを潰したって事だと思うんですよ。

都内の農業者だったのでスペース限られていたので。

 

家族を思う力ってすごいですね。

 

最初は実がなるのに苦労したそうですが

後に毎年立派な桃の実がなる木に育てあげ、

私も幼少の頃毎年おこぼれをいただいていました。

 

愛情が生んだ桃だったからか

本当に立派で実もあまく、どっしりとして水々しい桃でした。

スーパーでは中々買えない様なしっかりした桃だったので

未だに毎年祖父の桃が恋しくなります。

 

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今度はバラまで育てた

 

祖母は相変わらず入退院を繰り返していたそうですが

 

自宅療養している際言ったそうです

「バラが見えたらいいな」

 

その頃祖母は

横になっている事が多くなっている状態だったそうですが

その自分のベッドから

庭にバラが咲いていたら病気の事も少しは忘れられそう。

という意味でぽろっと言ったそうです。

 

そしたら

なんと本当にバラを育て始めた祖父。

 

バラって、育ち始めちゃえば比較的毎年安定して育ってくれるそうですが

これも土を整えたりして

育てる側も経験積まないとなかなか立派なバラにはなってくれないみたいですね。

 

バラ。というか花を育てる勉強をしながら

最初は裏庭の一角で育ててたそうです。

色々分からない事も多く、花に詳しい知り合いに聞いたりしていたみたいですね。

 

で、苦労の末

やっと

バラが育った!

 

ただ、そのやっと育ったバラはひょろひょろっとしていて

バラ。

と言われて想像するようなものではなかったそうです。

 

ですが祖父は

当時入院中だった祖母の病院に

そのヒョロっとした、か弱そうなバラを持って行き

「おかぁちゃーん!バラ出来たよ!ほら。おかぁちゃん!」

 

と祖母に見せたそうなんですよ。

(おかぁちゃん、おとうちゃん。と呼び合っていました)

 

その話を聞いた時

なんて素晴らしい夫婦なんだ。

と私は感動してしまいました。

 

勿論。

私は祖母と祖父のいい部分だけ話を聞いていますから

普段2人がどんな苦労をしていたか実は知りません。

 

でも。

この話を聞いただけでも

本当にステキな夫婦がこんなに近くにいたんだ。

と思えるだけでこちらが幸せな気持ちになりました。

 

そして私も祖父の様に愛情を素直に表現していきたい。

と思いました。

 

祖母は私が6歳の時他界してしまいましたが

 

実はバラは祖父が亡くなった現在も叔母と母が庭で毎年育てています。

 

祖母が病気だった頃は、ベッドから見える範囲内、できる限り広く場所をとり

育てていました。

現在は世話しやすい規模に縮小していますが

それでも祖父と祖母の一部が今でも残っていると思うと感慨深く感じます。

 

最後に

 

実は祖父は幼少の頃

実の母親を亡くしていて寂しい思いをしたり

その後の家庭がちょっと複雑だったりしたそうです。

 

そんな祖父に

祖母がタップリの愛情を持って家庭を支えてくれた。

 

農業と海苔養殖をしている祖父を手伝いながら

3人娘を育て、

勿論家事をこなしていた。

昔の人って本当に働き者だと思うのですが祖母も例外ではないと思います。

 

母曰く、

全然遊んでくれなかった。。。。

と言っていますが

遊ぶ時間がなかったんだと思います(^_^.)

 

昔の女性って本当にすごいなー。と思うのですが

でも其れほどまでに家族の事を想って動く祖母を見ていたからこそ

病気になったときに

祖母の為に出来る事をやってあげたい。

と祖父は思ったんでしょうね。

 

私も大切な人が傍にいる間に

相手に対して気持ちを伝えられる素直な人間になりたいな。

と思った次第です。

 

最後まで読んでいただきありがとうございます。

 

 

任侠世界からの脱却。とろみんプロフィールはこちら

 

 

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